日本の「良い母親像」から解放してくれたフランスの手抜き育児

フランスの手抜き育児 コラム / フランスから見える景色

日本人の旦那も持ち、3人の子どもがいる私は、フランスに住みながらも日本人としての生活スタイルを保っている。

「専業主婦なんて自分には合わない」「一生バリバリ働くぞ~」と意気込んでいた私だけど、出産を機に仕事を辞めてからは、

いわゆる「日本の良き母親像」を目標に数年間走り続けていた。

日本の良い母親像からの解放 フランスの手抜き育児

そんなある日、幼稚園の遠足のお知らせが来た。

しかも、ランチ持参らしい。

これは張り切ってキャラ弁を作ろうかと意気込んでいると、

学校からのお便りの持ち物欄に、ピクニック用ランチ(サンドイッチ・チップス・水・飲むヨーグルトなど)と書いてある。

「チップスって(笑)」と思ったが、

遠足の当日衝撃を受ける。

ポテトチップスを持ってくる子は結構いるし、周りを見渡せば りんご丸かじり、バナナ、パンにチーズを挟んだだけのもの。

おお!なんという事だ。 手抜きのような・・・なんて感じてしまっていた。

事前に担任に訊いた際も、フォークは危険だし、お弁当箱を持ち帰るのは荷物になるんだと。

なので、「弁当箱やフォークを使って食べるものは出来るだけ避けてほしい。」と言われました。

サンドイッチやバナナを食べて、ゴミに捨てれば帰りに荷物も無い。

ペットボトルの水を飲み終えた後はゴミ箱に捨てられるので、手ぶらで帰れるそうだ。

フランス流の子育て術

フランスの定番の朝食もいたってシンプル。

ヨーグルト、チョコミルク、シリアル、パンにバターやジャムをぬったもの。そして果物。

りんごは切ったり皮をむく事はなく、丸かじり。

もはや包丁の出番無し。

朝は忙しいので、エネルギーチャージ出来れば充分だと彼女達は言う。

宿題は学校の放課後クラスか、熱心な家庭は家庭教師に見てもらう。

週に1度家政婦を雇い、普段行き届かない家事を代行してもらう。

家政婦なんて裕福な家庭が使うもんだとばかり思っていたが、一般的な共働き家庭で利用している所も多い。

休日のピクニックにも、家でこしらえた弁当ではなく、

目的地に向かう途中でパン屋でバゲットを買い、持参したハムやチーズでその場でサンドイッチを作り上げる。

週末の夜には、パートナーと2人でディナーへ出掛ける為に、子どもをシッターに預ける。

日曜日の朝は10時過ぎまで寝て、遅めのブランチ。

しかも、ブランチ用のクロワッサンを買いに近所のパン屋に出向くのは旦那さんの役目である。

 

生まれも育ちも日本の私には色々と刺激的だった。

国が違うからやり方が違うのは当たり前。

この国で生きていると、「母親である事のモラルプレッシャーが無い」んだよな。

女性の就業率は80%を超え、周りを見渡してもほぼ働く母親なのに、

フランスに生きる女性は楽しそうで輝いている人が多い。

 

なるほどな~。

私は勝手に「日本の良い母親像」でがんじがらめになっている自分に気が付いた。

勝手に完璧を目指し、頼まれてもいないのに我慢して「子ども優先」を押し付けていた。

外出帰宅後の時間の無い夕飯も、一汁三菜を作る為に急いでイライラしては、子どもの話を突っぱねていた。

子どもが居るからと、好きな洋服から遠ざかり、外出もせず、

心の奥底で実は沸騰していた「私ばかり我慢している感」が無意識の内に不機嫌として放出される。

勝手に「母親のあるべき姿」にとらわれて本質が見えていなかった。

きっと子ども的には、カップラーメンでも笑顔で話を聞いてくれる母親の方が良いだろうし、

自分の為に我慢をしている母親より、

好きに楽しんで生きている母親の背中を見る方が健全で、プレッシャーからも解放されるのかもしれない。

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手抜き育児のその先にあるもの

基本的にフランスの女性は無理をしない。

色々と手を加えて完璧を目指すのではなく、いかに手を抜くかの引き算の考え方が上手い。

手を抜く所を決めるという事は、逆に言うと

「何を優先するべきか」を選ぶ作業。

大切な事を大切にする為に、優先順位の低いものは手を抜くという決断。

子どもと一緒に座ってご飯を食べる為に、朝ごはんに手を掛けない。

子どもを向き合う時間を作るために、家政婦を頼む。

自分にしか出来ない事と、人の手を借りる所の線引きが明確だ。

上手く手を抜く事は愛情を抜く事ではない。

私は自分の許容範囲が解り、生きることが少し楽になった。

そう考えると、日本のこの法制度と社会モラル下で人一倍頑張る日本の母親よ、どれだけ凄いんだよ。

頑張り過ぎて疲れてしまわないか心配。

日本の母親が、今よりももっと自分の事を大事に出来る環境が作れるといいな。

「母親はこうあるべき」というモラルは一体誰が作ったのか。

色々な人が居て、それぞれのやり方が有る。

新しい価値観に出会う度、自分はどう生きるかを問われる。