今年の夏は新型コロナウイルスの影響もあり、毎年夏のバカンスに恒例の日本帰国を断念。
フランス国内旅行を決行し、今回2度目の訪問となったNantes(ナント)。
そこで美味しいランチが食べたくて行き着いたビストロは、5年前にもディナーを試みたイタリアン。
その頃は長男が1歳で、ベビーカーを押し、調べておいたそのイタリアンへ辿り着くも、長男はギャン泣きを決め込む。
その日は泣く泣く断念し、後ろ髪を引かれつつ帰ったその5年前の想いを胸に今回2度目のチャンレジ。
「あの時無理せずに断念した判断は正解だったな。親になるとそうも好き勝手出来ないし、親になるってこういう事だよな。
ああ、美味しい。テラスで風を感じながら家族で抜群のランチを食べる。
これで今回、ベストなタイミングで家族5名でまた来店し、美味しく食せるのは幸せだと、5年分の想いが募って酔いが回る。
我慢は嫌な事ではなく、次の楽しみを最大限に演出してくれるエッセンスだ。なんてキザな事考えてみたり。
店頭に掲げられている看板がやけに目に付く。
まだマスクが義務化されていない時期に、お店側が独自に打ち出した手書きの「マスク着用義務の看板」
日本で飲食業を経営している友人が言っていた事を思い出した。
マスク着用をお願いしても、拒否する人もいるのだとか。
そこでいざこざがあったりするのを日本のニュースで読んだこともある。
我らはテラス席に陣取り、少し騒がしくなった店内を見ると、食事中にお手洗いに席を立ったマダムに、ムシューが何やら注意をしている。
まさに「マスク着用義務について」だ。
「食事中でも、お手洗いに立つ時は必ずマスクをして下さい。」と説得していた。
私はテラスに居たので、何と言っていたのか声はしっかりと聞き取れないけれど、
傍から見ても優しさが伝わってきた。
その言い方が何というか一方的ではなく、相手に伝わるような優しく諭すような口調や所作がなんとも心地良かった。
最初は嫌な顔をしていたマダムもそのムシューとのやり取りで最後には顔が和らいだ。
あ、解決したな。
見ているこちらの気持ちも和らいだ瞬間だった。
なるほどな。伝え方だな。
一瞬ピリつきそうなそんな一コマも、ムシューの伝え方(人柄)で事態は好転する。
何だか外野の私までもがそのムシューのファンになった。
5年前にビビッと来て我慢した甲斐があったもんだ。
自分の嗅覚を誉めてあげたい。
パートナーでも自分の子どもや親にでも、友人でも仕事関係の人でも一緒だよな。
相手の立場になって、一瞬でも相手の気持ちを察して選んだ言葉っていうのは刺さるものだ。
でも、ついつい日常生活だとそれを忘れがちなんだよね。
特に子どもには少し威嚇的な言い方や脅し的テクニックを無意識に使っている自分がいる。
感情的になって「片付けなさ~~い!!」と声を荒げてみたり。
誰の徳にもならないもんね。
言われた方も、言った自分も自己嫌悪だし余計にイライラが増す。
伝え方を意識しなくては。
過去に読んだ2冊の本も、その私がテーマにしている伝え方の本。
コピーライター佐々木圭一氏の「伝え方が9割」と市田ひろみ氏の「京都流 言いたいことが言える本 文庫」
そのうちの1冊、市田ひろみ氏の本は特に女性特有の真理をついている。
敵に回さないけど、言いたい事はしっかり言う為の技術というか、心持ちを書いた本。
何度も読み返している。
一生勉強だな。
あの、ムシューにように、穏やかにしなやかな大人になるぞ。