「植物を枯らし続ける私」が失敗を繰り返し、植物を枯らさなくなってきて、植物と上手く付き合うコツというのが少しずつ分かってきた気がしています。
私の場合、植物を枯らす時というのは大体「心に余裕が無い」ような場合が多いなと経験上感じています。
そんな私が「植物を枯らす時の本来の問題点」と、「植物を枯らさない為のマインド」、そして「植物を育てる事で培えるスキル」について感じた事をまとめてみたいと思います。
植物の世話は、やり過ぎてもやらな過ぎても駄目なんですよね。
そして、それは全て物や人への向き合い方と共通しているなと感じています。
植物を枯らす時の本当の問題とは
私は今までにゼラニウム・シャクナゲ・ガジュマル・カポック・ドナセナ・ポトス・多肉植物・サボテン・ゴムの木・アボカドetc・・・と様々な植物を育てていますが、
植物を育て初めて最初の3年間ほどはよく枯らしてしまっていました。
私の経験上、植物を枯らす時というのは、大体
「忙しくて植物の管理まで手が回らない」
「自分の事で精一杯」
「心に余裕が無い」
このような状況が多いなと私の経験上(笑)感じています。
まあね、当たり前なんですよ。忙しい時に毎日植物の世話なんてしてられないんですよね。
でも、何度も植物を枯らし続けてきた私が反省の意を込めて今、言える事は
「植物を枯らす」=自己中心的になっている事が実に多い。(私の場合)
植物の世話はやらな過ぎても、そしてやり過ぎても駄目なんですよね。
植物をほったらかしにしていて、気が付いた時に世話をして水不足で枯らす場合や、
可愛いからといって大切に大切に世話をし過ぎて、水をあげ過ぎて枯らすという事が多い。
しかも、大体後者が多い気がする。
それはずばり、相手が欲している事を理解していないってやつなんです(笑)(←はい、私)
心に余裕が無くて、相手の様子をちゃんと見ずに、
自分の思うがまま(こうすれば良いに違いない)と自己完結で世話すると私のように枯らし続ける結果になるんですよね。(それ、私)
これって実は全て、物や人への向き合い方と共通しているなと感じています。
私の場合は、植物を枯らしている時期は、
何となく自分のタイミングで水をあげたいから水をあげる。というやり方でした。
今日は時間があって天気だし、植物の世話でもするかと思いつきで水をあげてみたり・・・。
人間関係も一緒で、相手の状況を観察せずに、気持ちを汲み取らずに、こっちから色々発信してしまっていたんです。
初対面でもシーーンという沈黙が嫌で、こちらからどうでもよい話をマシンガントークしてしまう。とか、
相手は本当は何か言いたい事があるかもしれないのに、私から自分のペースで話しかける。とか。
要は、相手の気持ちや状況をしっかり観察せずに、自分のペースで、自分のタイミングで自己発信。(自己嫌悪)
相手に発信の隙を与えてなかっただろうなと反省。
そうなんです。自分の性格が炙り出されるんです~~。あ~~怖い怖い。
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植物を枯らさなくなる為には
植物を枯らさないようになるには、「植物をしっかり観察し、適切な対応する事」これに尽きます。
「今日は手が空いているから水をあげる」とか、「夜なら時間が取れるから夜に水をあげる」とか、こちらの都合でお世話をしている時は、植物が負担になっている場合が多い。
やはり、その植物に合わせて最適な世話をしなければなりません。
相手(植物)が必要なタイミングで最適なケアをする。
「植物を枯らさない」とは、一つの目に見える事柄だけれども、
結局生き方に通じるものがあって、問題に対して必要な対処をする日々の鍛錬なのかなと感じています。
トライ&エラーを繰り返す、そして結果が目に見える形で現れる、これが植物の良い所。
やり方が悪いとちゃんと「枯れる」という結果が明確に出るんですよね。
普段の社会生活の中で、明確に失敗が分かる事なんて少ないんですよね。
特に人間の最大の悩みの種である人間関係なんて、コミュニケーションの失敗なんて気が付きにくい。
なので、植物の管理をする事で、自分の考え方の癖などと向き合う練習となり、
そして人生でぶち当たる壁の問題を発見し、その問題に対して適切な対処をする練習になると私は考えています。
植物を育てる事で培えるスキルとは
植物を育てていると失敗はつきもの。
失敗して枯らしてしまう事も多いのですが、その学びから培えるスキルがあり、それが実生活で確実に役立つと思っています。
まずは、日々の小さな変化に気づくスキル
これは植物の様子を見ていると、葉の色が薄くなってきているから日光不足なのか、
葉が下に垂れ下がっているから水不足なのか、
はたまた葉先が枯れたりして根っこに問題があるのか。など、
毎日チェックしていると、植物を見ただけで健康状態に気づけるようになるのですが、
これって相手(植物)に意識を集中して観察する事で分かる事なんですよね。
それは日常生活にも派生していき、今までは全く意識がいかなかった、例えば「靴底の減り具合」に目が行き、自分の歩き方の癖が分かったり、
日程を確認しなくても、体温を測らなくても自分の体調の微妙な変化に気づき、排卵日がだいたい分かるようになりました。
意識を細部まで巡らせる事が出来るようになってきました。
これって植物を育てていると自然と習得出来るものなんじゃないかと思っています。
この感覚を敏感にする為には、不必要なモノや事を取り除く事が一番!
家の中に自分の意識が及ばないものが多いと、細部まで目が行き届かない。
色々なモノや情報が有り過ぎて、自分が力を注ぐべき物、優先順位が見えにくくなり、自分の心が分からなくなってくるんですよね。
植物の世話と同時に断捨離を行う事で、「今、在るもの」の意識が向かい、尚且つ細部まで目が届くようになってきます。
そして、自分の心を集中させる練習にもなるという事。
植物の管理とは、自分の感情とは関係の無い(自分のコントロールが及ばない)事柄、植物の生命力や天候などに向けてアクションを起こす必要があるので、
当たり前だけれども、「自分の思い通りにはならない事」への許容が出来ます。
大人になるというのか、自然の摂理を体感出来るんですよね。
私も自然の中の一部だって感覚です。
実社会で起こる様々な事も、ある程度流れに抗うこと無く生きる「しなやかさ」の大切さに気付き、
そうすると、より一層
「自分のコントロールの及ばない場所を如何にコントロールしていくか」これがもの凄く楽しくなってきます。
植物って、手をかけ過ぎると枯れると私は思っています。
少しぐらい放っておいて、水もあげ過ぎよりはあげない方が良い。
過保護になり過ぎると駄目。
人間関係と一緒で、自分と相手(植物)との絶妙な距離感が大事ですよね。
毎日意識はするけれど手はかけ過ぎない。
始めは、植物の問題にすら気づかない場合が多いのですが、
最初は心が追い付かなくても良い。
毎日植物を観察する、意識をする事で、小さい事に目が向けられるように徐々になってきます。
そうなると問題自体に気が付きやすくなり、枯れる前に色々と対応が出来るようになる。
それは実社会でも一緒。
トライして失敗しながら、確実に着実に上手くなっていく。
そうやって柔軟に生きていきたいな~と思う今日この頃。